義姉の心
2017-10-24


昨日、義姉からの電話では、
「今、一人で白浜に旅行に来ているの。お金がないから、ホテル代、払われへん、、、」と、ちょっとおろおろした声。
その直前の電話では、カードも現金もある、と言っていたので、
バッグの場所を説明して、中を調べてもらう。
「あ、あったわ! よかった〜」と喜んでいたので、こっちもホッ。
次は、鍵がない、とまたうろたえた声。
「グレイのちょっと光ったバッグがあったでしょ。その取っ手の根元にチェーンがついてない?」と言うと、
目的のバッグに到達するのにちょっと時間はかかったが、
無事に発見。
「M吉さん、何でもよく知ってくれてるねんねぇ」と、また喜んでくれる。

今日は、
「お母さんの法事をせなあかんねんけど、できひんねん。ねえちゃんに怒られる、、、もうすぐ、来るて言うてるねん」とかなり、パニックになって電話。
「法事はしなくていいよ」と、何度も説明。
繰り返し繰り返し、法事ができない理由を言う相手に、
「しなくていいよ。大丈夫!」と何度も何度も太鼓判を押す。
後で、S姉から電話がかかって来たが、
S姉は、法事の話なんか何もしていないのに、急に義姉が言い出したそうで、S姉の所にも何度も電話があったそうだ。

折りに触れて何かを思い出し、
自分の中で説明がつかず、パニックになっている義姉。

辛いだろうなぁとは思う。
記憶力だけでなく、判断力もないに等しい。

こういう判断力を失った人の、自己決定権って、何だろうと思うことがある。
自己決定ができるように支援する、と言うのは簡単だ。
が、実際には、支援だか、誘導だか、わからない。
徘徊癖のある人の自己決定権は、限られた場所を提供して、
その範囲内で自己決定をしてもらって、それをその人の権利を守っていると言うのかなぁ。

確かに子育て中は、
自分が見守ることのできる範囲内に子どもを置きながら、
自由にさせていた。
子どもたちは、歩き回るのが好きで、とにかくお散歩が大好き。
前を自由に歩かせながら、ずっとついて歩いていたものだ。

が、同じことを徘徊する高齢者に行うことは無理がある。

義姉を明日、別の施設に連れて行く。
義姉は、自宅に帰れると思って、喜ぶだろうか。
自宅ではなく、別の施設だと説明しないといけない。
いやだと言うかもしれない。
自宅に帰る、と言い張るかもしれない。
新しい施設では、もう部屋を用意して待ってくれているが、
それを説明すれば、
「私のことを、誰が勝手に決めたん?」と言うだろう。
どこかでやっぱり嘘をつかないといけなくなる。
「あなたが、自分で前に決めたのよ」と言うのか、
「まだ、マンションの工事が終わっていなくて、、、」とでも言うのか、、、。

「私は決めた覚えはない」と言うだろうし、
「忘れたのかな?」とでも言えば、
「私って、そんなに悪いの? そんなん、もう死ぬしかない、、、」と悲観的になるに違いない。

死ぬ、と言ったり、
自殺なんかしたらせっかく産んでもらった親に悪い、と言ったり、
兄が自殺しているから(それは本当)、そんなことはできない、生きなくては、と言ったり、
何一つ、彼女は一つ所にとどまらない。
ずっと揺れ動いている。

疲れて、こっちも変になりそう。
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