疲れる理由
2017-05-21


しかし、電話の趣旨がわからない私は、話を聞き続け、
終わってから、ああ、愚痴を聞いてほしかったんだとわかる。
愚痴なら愚痴で聞くことはできるが、
「ちょっと、愚痴、聞いてくれる?」と言ってくれればいいのだが、
プライドが高いようで、自分の話を「愚痴」とは思いたくないのだろう。

こういう「プライド」というやつ、邪魔だねー。

相手に、自分に合わせてもらうのは無理、と考えるのは、私の癖。
相手と付き合う時間は、全身全霊で、相手に仕える時間だ。
私自身の欲望は封じ込めているので、疲れるのだろう。
同じ研究会などの友人にあまり疲れないのは、
言動のパターンや関心を持つ対象が似ているので、
こちらが一方的に合わせている感じがないからだろう。
相手の話に興味もあるし、面白がる私がいる。
たぶん、姉たちとの会話は、私にとっては、不毛なことが多い。
もちろん、全て不毛だとは言わない。
全て不毛だったら、つきあいはしていない。
第一、認知症の人の言動のパターンや、癇癪持ちの人の感情の表出のありさまなど、誤解されそうな言い方だけど、
私にはとても興味深い。
こんなふうに書くと、相手に対するリスペクトがないように見えるかな。
リスペクトはあるのだけどなぁ、、、。

まぁ、それでも、疲労は蓄積する。
同居して介護をする人たちの暮らしを考えると、
その忍耐は想像もつかない。
もうそんなに長くない人生、なるべく面白い時間を増やそうとは思う。

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