息子の気持ち
2024-07-04


この世でわからないものの一つは、今日のタイトルのこれ。

息子が幼い頃、自分に似ていると思って、
不幸な子ども時代にしてやってはいけないと心を砕いたが、
どうも、それは不要な心配だったようだ。
娘は、妹という立場でもあり、私よりもドライな性格だと思っていたが、
むしろ、大人になると、娘の方が共感能力が高くて、私の気持ちに寄り添ってくれるようになった。

もちろん、それぞれ個性があるから、
私のわからない部分をたくさん持っているだろうとは思う。

しかし、息子の心の内はほんとうにわからない。
繊細かと思えば、ものすごく図太いし、
こだわりの強いところと雑なところが同居している。
まあ、誰でもそうなのだろうけど、ただ、彼の雑さのレベルは理解不能で、こだわりの強さも理解不能なレベルなのだ。

ただ、わかるのは、
息子は男性として社会化されてきているからか、見事なほど、
母親には想像力も共感も働かないらしい、ということだ。

今も思い出すことがある。
息子と娘は4歳半、年齢が離れているので、
子育て時代は結構、長かった。
息子が何でも自分でやれるようになる頃に、娘が生まれているので、
今度は娘に手をとられていた。
そして、それらもようやく一段落した頃、
私は高熱を出した。
子どもの手が離れてようやく楽になる頃に、母親は病気をする、というのは、その頃よく言われていたことだけど、
ほんとに、その通りに、42〜3度の高熱を出した。

夫は、毎晩、遅く帰って来る。
近所の子どもたちが母子家庭と間違えるほど、夫は家にはいない。
私はいつものように、夕食を作っていた。
が、気分が悪いことこの上ない。
立っているのも無理なほどしんどいのに、
なすのひき肉はさみ揚げとタレを作っていた。
自分が病気であることに気づかず、予定した通りのメニューを作っていたのだ。

猛烈に、気分が悪かった。
頭が痛く、吐きそうで、立っているのもつらかった。
ようやく、夕食の支度を終えて、火の始末をしたあと、
息子に適当に自分たちで食べるように言って、
私は、布団を敷いて横になった。
娘は幼かったから、向こうの部屋で遊んでいたのだろう。

息子に、「支度はできているから、妹の分も取り分けて食べておくように」と、食べ方の指示をして寝ていた。
が、尋常ではない気分の悪さである。
息子が私の枕元にやって来て、どのように食べるのかを何度か聞きに来ていて、私は苦しい息の下から指示を与えていたのだったと記憶している。
いつもと同じように世話の焼ける感じの息子に、
「ママはしんどいから、もう、死んじゃうかもしれないの」と言って、大変な状況にあることをわからせようとした。
それほど、これまでに覚えのないほど気分が悪かった。

やがて、息子は妹の世話をしながら、食事をしてくれていたのか、しばらく顔を見せなかった。
が、しばらくしてまた枕元にやって来た。
目に涙をためて、目のふちが真っ赤になっている。
ああ、死んじゃうなんて言ってしまって、悲しませてしまった、と思った。
すると、彼は泣きべそをかきながら、こう言った。
「ママが死んだら、誰が僕らのご飯をつくるの?」と。

その言葉を聞いた時の落胆は、今も忘れられない。
自分が何と答えたかは忘れたが、ほんとうに落胆した。
思えば、夫がそもそも、私をそういうふうに扱っていたのだから、それが私の家族内での位置だったのだ。
だから、息子が薄情というより、そういう者として、私はいたのだ。

少し成長すると、娘は私の胸の内を心配してくれるようになったが、
息子はよくわからないままだ。
まだ、娘が生まれる前、
夫の実家に行ったとき、夫の親族たちが団欒で集う中、私一人がぽつんと離れているのを見て、目の周りを真っ赤にして、

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