「暗黙の了解」を共有できない
2023-08-26


また、一つ気づいたこと。

今頃かい! と突っ込みを入れられそうなこと。

つまり、私はハイコンテクストの文化では落ちこぼれやすいのだ。
いわゆる「暗黙の了解」というものを共有できないのだ、ということ。

子どもの頃から、親によく怒られてきた。
親は、曖昧にしておきたいことを持ち、「そういうもの」だというように子どもが諦めることを想定している。
しかし、私は、諦めない。
ん? 今のは理屈に合わないのではないか?
どうも納得がいかない、、、というようなものを、
私はとことんわかろうとする。

わかりたいだけだ。
わかりにくいから、教えてほしいだけだ。

が、それは親がごまかしておきたいこと、
なかったことにしておきたいこと、
それ以上、ごちゃごちゃ聞くな、と思っていることだったりする。
正論を持っていないから、問われたくないのだ。
なのに、そこに私は食い下がる。

親が、自分の方が正しい、という態度をとればとるほど、
どのように親が正しいのかを知りたいのだ。
ただ、わかりたいだけだ。
そこには、親を追い詰めたい、とか、
困らせてやりたい、とか
そんな意図は微塵もない。
わからないから、教えてほしいだけだ。

が、親は説明できない(なぜなら、ごまかしているだけだから)ので、
私が食い下がると、怒りだす。
それは理屈に合わない、と私がなおも疑問を解こうとすると、
最後は、
「親は何を言ってもいいんだ」と、
また理不尽なことを言い出す。
私には言っていけないことはたくさんあって、
なぜ、「親」なら何を言ってもいいのか、そこもわからない。
だから、また、疑問が生じる。

私を言葉で納得させられない親は、
結局、怒り、暴言を吐き、暴力で黙らせようとしたのだ。

多くの子どもは、親の理不尽を黙ってやり過ごすのか?
親の理不尽さを見逃すのか。

子どもの頃、親との言い争いが続くと、
親が、「もっと大人になりなさい」と私に言い、
「はあ? 大人はそっちでしょ!」と呆れて言い返したことがある。
「親の気持ちをもっとわかるべきだ」と言うので、
「子どもだった経験があるのはそっちでしょう? 私は親になったことがないから、親の気持ちなんかわからない」と、子どもの私はまた言い返した。

私の親が間違っていたのは、
「親」は子どもに負けるわけにはいかない、という誤った考え方をしていたことだろう。
親の「威厳」を保つためには、いつも親の方が正しくないといけないと、思い込んでいた昭和の親だ。
正しくなくても、親の方が正しいことにしておきたい、と考える親は、
追及されれば、力でねじ伏せるしかなくなる。

私の不幸の始まりだ。

なんだ、今頃、わかったのか、と、
ハイコンテクスト文化にうまく適応してきた人は、呆れるかもしれない。
それが私の生きにくさだったのだろう。

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