介護される側の気持ち(長い思い出話)
2022-11-23


家族論の授業で、「児童虐待防止法」は毎年、結構具体的な実態まで扱ってきたけれど、どうしても手に余って、扱えなかったのが「高齢者虐待防止法」だった。軽視していたのではなく、実態をよく知らないので、そういう法律もある、ということを伝えるだけだった。

 母の介護はしたけれども、介護保険のお世話になって助けてもらったし、母の気性からいって、母が女王様だったし、お互いに距離を置いてきたので、私が母より上に立つことはなかった。困らされたことはたくさんあるが、母に腹を立てるということも皆無だった。
 困らされたことは、数限りなくあるし、娘や友人に愚痴を聞いてもらってきたけれども。

 先日、関わっている労働関係の団体でオンラインミーティングを行っていたとき、今、お母さんを介護中のメンバーが、「母を虐待してしまいそうになるから、老健施設に行ってくれている間、精神的に救われる」と言っていた。そうすると、他のメンバーも共感して、「穏やかなあなたでもそうなるのねえ。安心したわ」と言っていた。
 私は複雑な気分だった。介護という事象では、介護する側の苦労だけがクローズアップされる。私も、このブログに書いていた頃、母に苦労させられている自分の側の立場から綴っていた。まあ、当然と言えば当然だが、苦労をねぎらわれるとホッとしていた。

 もちろん、母の辛さを考えないわけではなかった。特に、外面が良いはずだった母が、入院中、看護師さんを一人ずつ指さして糾弾し、わがまま放題で暴れたらしく、「拘束」すらされていて、言葉を失ったことがあった。病院から、「娘さんが来てくれたら落ち着くから」と言われて、とんで行ったことがあったが、そこで見たのは、久しぶりに見る、わがままで思い通りにならないと怒り出す、なつかしくさえある母の姿だった。母は、私を見ると落ち着き、平静を取り戻したようだったが、それでも、自分が眠っている間に、私が帰ってしまうのではないかと不安がって、眠気と闘っていた。
 思うようにならないと怒り出すのは、私の知っている母ではあるが、いよいよどうにもならないとなると、意気消沈してしまって、あらゆる活力を失ってしまう。
 そうして、最終、生きるのを止めた母がいたのだと思う。

 母の心情を知ろうとし、母の意向を確かめ、極力母の望みをかなえようとしたが、それでも、本人の気持ちには遠く及ばない。
 
 介護される者の辛さを誰が語れるだろう。
 もう、表現する術を失ってしまった人は、つらくても悲しくても、ほとんど表現できない。
 
 昔、ほんの短期間、高齢者介護の現場に、応援に入ったことがある。ベテランの看護師や介護士は、テキパキと作業をこなす。が、忙しいのもあって、なかなか介護される人とゆっくり言葉を交わす、ということはなかっただろう。
 短期間の間に、私は二人の人の、誰も知らないらしい声を聞いた。一人は、倒れるまで看護師長をしていた、とてもしっかり者の方だったらしい。私は、その方のトイレ介助をしたとき、何をどうして良いかわからない私に、その方は口頭で指導をしてくださった。
言われたとおりにして、とりあえず何とか、介助をやり終えたことがある。
「教えていただいて、ありがとうございました」とお礼を言ったら、その方は、昔は自分がやっていたのに、今は、「悔しゅうて、悔しゅうて、、、」と泣かれた。
そのデイサービスを離れる前日、その方がおられて、短期間手伝っただけの私のことを覚えておられるのかなと思っていたら、
「あんた、よその子になるの?」とおっしゃった。その「よその子」という言い方がおかしくて、皆笑っていたが、ああ、全部わかっていらっしゃるんだ、と思った。それでも、体が不自由になった人を、看護師も介護士も、小さい子供のように扱っていた。

  もう一人、完全にぼけているおばあさんという扱いの人がおられた。おむつをつけて、ほどんど寝たきりの人であった。

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