2022-05-21
リフォームした後、まだ整理が終わらない。
本は段ボールに100箱以上。
仕事の資料がまだ何箱も出てくる。
次から次、段ボールを開けると、本と資料。
シジュフォスの神話のよう、、、。
いやいや、そんなはずはない。終わるはず。
だが、立ち上る想念は終わらない。
忘れていた過去に遭遇して、深く切り裂かれてきた傷が疼く。
傷は癒えない。
これがいやだから、蓋をしてきたのだが、
いよいよ断捨離。
残したいものもあるから、目をつぶって捨てるわけにもいかず、
やっぱり、見てしまう。
そして、煩悶が始まる。
その繰り返しだ。
だから、少しも終わらない。
ああ、と気づいたこともある。
現役の頃、児童書好きの人たちと出会った。
とりわけ、二人の人が、とても熱心に児童書の良さを語り、
一生懸命勧めてくれて、
そのうちの一人は、病院の見舞いに絵本を持って来てくれた。
たぶん、過酷な仕事に苦しんでいた私に、
癒しをもたらそうとしてくれたのだろう。
が、読めないのだ。
どんなにその良さを語られても、私の心に響かない。
そう言えば、子どもの頃から児童書が苦手だった。
小学校を卒業した時に、待ちきれない思いで、大人が読む文学書を買ってもらった。
ようやく、心の深くに届く本に出会えた感じだった。
強く勧められて揃えた児童文学も読まずにしまい込んだ。
いや、努力して2巻目までは到達したのだ。
が、読んでも読んでも、私の内面に響いてこない。
自分の守備範囲の学術系の本を読んだら、やっとなじんだ世界に戻った感じがしたものだ。
ある人が、
「児童書は子ども向けの本ということではなく、子どもにも読める本、という意味です」と教えてくれた。
それなら、と説得されて、読み始めるのだが、どうしても途中で投げ出してしまう。
今、断捨離をしていて、ようやく気づく。
児童書は、易しい本なのではない。
レベルの問題ではない。
児童書というジャンルなのだ。
私が好んで読んできた本とはジャンルが異なるのだ。
「子どもにも読める」本ではない。
子どもも大人も、好む人は好む、という一つのジャンルなのだ。
児童書をバカにしてはいけない。
むやみに美化してもいけない。
易しい本でも、心が清らかになる本でもない、一つのジャンルだと気づいた今回の断捨離。
そう思えたことで、やっと、児童書も捨てられる。
今まで、児童書の良さをわからない自分には、何か欠陥があるのだ、と思っていた。
いつか心穏やかな日が訪れて、友人たちの言っていた児童書の「素晴らしい世界」を味わえるのだと思っていた。
とんだ思い込みだったわ。
やっと、捨てられる。
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