お正月
2016-01-04


2016年が明けました。今年は、喪中なので、新年のご挨拶はしませんが、
でも、今年もよろしくお願いいたします。

 母のいない初めてのお正月です。

 大晦日は、娘と娘のパートナーが一緒におせちを食べてくれました。そして、なんとなく、紅白を観ました。
 私が知らないジャンルに強かったりするので、若い人とおしゃべりをするのは楽しいです。

 母がいない、ということが実感にならないまま、母の不在の日々です。

 京都に出かけて、和菓子屋さんを見ると、一瞬、母へのお土産を、と思います。すぐに、あぁ、もういなんだと思うのですが、、、。
 デパートなどで、母の好きそうな小物を見つけても、一瞬、母に買って帰ってあげようかと思います。次の瞬間には、母がいないことを思い出すのですが、、、。

 母を喜ばせてあげたい、という感じがいつもありました。でも、それは、たぶん、母が最も喜ぶことをしない罪滅ぼしなのかもしれません。
母は、私という一人しかいない娘が、母と同じ嗜好を持ち、母と楽しい時間を共有することを望んだろうと思います。
 独身の頃、短い間でしたが、母と共有する時間を持ちました。母にとったら、もう子どもでなくなった私は、友だちのようにつきあえる相手だったことでしょう。

 しかし、私は母から立ち去ったのです。母と同じ世界観を共有せず、母とは異質の文化を享受するようになったのです。
 一度、同じ研究会の人が、近所ということで、実家を訪ねて、母に私宛の何かを託してくれたことがあります。それを受け取りながら、私がその人を、同じ研究会の人だと説明したとたん、吐き捨てるように、
「ふん! 不平分子か!」と言いました。
 私の所属する団体は、労働やジェンダーなどをテーマとして研究や活動を行っていますから、問題意識の強い人の集まりです。母のその時の不快の表明は、ほんとうにそれらが嫌いだったのか、私が母の手中から離れることがいやだったのかわかりませんが、その経験で、母に自分の活動について、話さなくなりました。
 ただ、大手出版社が出している年鑑に原稿を書くようになると、それは買っていたようです。

 そういう意味では、誰が何と言おうと私を支持してくれる、というタイプの親ではありませんでした。偉い人が認めるなら、親も認めてくれる、という感じでした。
 私には理解できない親の態度です。自分の価値観を信じて疑わない、という親のタイプが不可解です。自分の経験や世界観など、たかが知れているのだから、子どもの向かうところをとりあえず応援したいと、私などは思いますが。

 親のことをたくさん思い出します。
かわいらしくて、わがままで、自己チューで、か弱くて、女らしかった母は、私という娘を支配しきれず、同一視に失敗したのかもしれません。
 私は母を慕い続けましたが、母を人生のモデルにできませんでした。距離を置いて、母を崇めていたように思います。母には、少し寂しかったろうと思うと、それが、ちょっとだけ辛いのです。
 
 今、ちょっと体調が悪いので、弱気です。
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