2015-07-03
入院した日の夜、母は、天井を見上げて言い出した。
「あの、右から2番目のを消してほしい」と。
「右から2番目?」
「どこ?」「どのへん?」と、母の言うことをわかろうといろいろ尋ねるが、どうも天井の一点を見ていて、私には何のことかわからない。
私には何も見えない。ただの病院の天井である。しかも、今回は、自宅と違って、天井が高いし、何も道具もないし、私には小細工することもできない。
「お母さん、私には、何も見えないんよ。ごめんね〜、無理なんよ」と言うけれども、しばらくすると、また、
「右から2番目を消して」と言う。
看護師さんがやって来て、体位交換するときも、母は天井の一点を見つめ、指さして
「あれ、あれを消してください」と言う。
やがて夜も更けて深夜になって、私は病室のソファで寝ることにしたのだが、思い出したように、母は、
「あの右から2番目を消して」と言う。
それでも私が母の要求にこたえる行動をとらないと見たのか、
今度は、
「ね、お願いがあるから聞いてくれる?」と、懇願口調。
「お母さん、右から2番目は、いくら言われても消せないんよ」と言うと、またしばらく黙っているけれども、一定の時間を置いてまた言い出す。
「ほんとに、言うこときかへん子やねぇ」と愚痴口調にもなる。
脅されても懇願されても、私には母の要求をかなえることができない。
なぜか、大量に吐血した母は、ハイテンション。全然、眠ろうとしない。とうとう私も母に反応するのに疲れて、母の呼びかけを無視することにした。
どうせ、「右から2番目」と言うのがわかっているから、疲れてしまったのだ。
すると、母は、私が眠ってしまったと思ったようで、
「M吉」「M吉」と呼んでいたけれど、やがて、大きな声で、
「M吉! 起きよし!」(〜よし、というのは京都弁の命令形。〜しなさい、というような感じ。)と叫んだ。
ひぇ〜、大きな声! 私は首をすくめてじっとするしかなくなり、度々の母の
「M吉! 起きよし!」という大声に息をひそめて耐えた。
だいぶん、長い間、間隔を置いて叫んでいたが、ようやく寝てくれたのは2時だったか、3時だったか、、、。
途中、あまりの悲しさと怖さで、これを誰かに共有してもらいたいと思って、そっとiPhoneを母の方に向けて録音してみた。
たまたま、息子が翌日来てくれたので、聞かせたら、大ウケ。
「おばあちゃん、がんばってるなぁ」と、笑っていた。
とにかく、朝になって目覚めた母は、もう、「右から2番目」のことを言わなくなってホッとした。
ただ、朝から、呼吸困難そうで、息が荒く、母がいやがってはずしてしまう酸素吸入の鼻カニューレを、
「楽になるから、つけようね」と説得したら、今度は素直につけてくれた。
入院の日から三日間、病院に泊まり込んだら、もう、くたくた。
でも、病院では、母が興奮したりすると手の施しようがなくなるらしく、私が傍にいると静かになるので、なるべく私にいてもらいたいという意向だ。
こういう時、「あ、そうか」と思う。きょうだいがいる人は、交代で見守る、ということが可能になるのか。もちろん、きょうだい間でも、うまくいく人といかない人がいるらしいから、一概にきょうだいのいる人が羨ましい、とも言えないけれども。
きょうだい間でトラブルがあったら、さらに心労が増えるだろうから、それはもっと困る。
私の場合、さっぱりとそういうのがないから、からだはしんどいけれども、ややこしい気苦労はない。ま、現状で、良い方向を探るより仕方がない。
私が役に立たないと思ったのか、酸素吸入とステロイド投与でまた元気になった母は、今度はさかんに、
「○○ちゃん」「○○ちゃん」と、私の娘の名前を呼んでいた。
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