老い
2014-05-21


 亡夫には姉が二人いる。最近、下の方の義姉の衰えが激しいような気がする。もともと気の良い、おっとりした人だから、今でも穏やかだが、その穏やかさが「ぼんやりさ」に変質しているような気がする。物忘れが激しいのだ。
 1月のこと。娘と母と私でランチに行こうということになって、一週間前くらいに一人暮らしの義姉も誘ってみた。喜んでくれていたが、そして、2日前に時間と待ち合わせ場所の確認もしたが、当日、その場所に現れない。電話を入れると、「何か約束してた?」と、のんびりとした声。以前から、物忘れが激しいなと時折思っていたが、このときはさすがに心配になって、こちらから会いに行った。
 話題は、ほんとうにどうでも良いことばかりをループするし、直前のこともよくわからなくなる様子。が、それを心配していると、本人は、一生懸命言い訳をする。

 先日は、この義姉とさらにその上の姉と私の母と私という四婆メンバーと、息子の運転でお墓参りに行った。おばあさん受けの良い息子は、相変わらず、頼りになって優しくて、モテモテ。
で、上の姉はしっかりしていて、いつもシャープ。下の姉の方が劣化が激しい。先日は、途中で入ったサービスエリアのトイレにバッグを置き忘れた。すぐに気づいて取りに戻ったが、サービスエリアの公衆トイレはとかく個室がたくさんある。探しに行った姉を追いかけてトイレに着くと、姉はうろうろしている。
「どこに入ったの?」と訊いても、あまりよく覚えていない様子でおろおろしている。しっかり者の長姉の方は、うんざりしている。幸い、空いていたので、片っ端から個室を覗いて、本人が探し当てた。泣きそうになっている義姉に、かわいそうでこちらも泣きそうになった。長姉は、以前は怒ったりしていたこともあるが、もう責めることもしない。尋常でないのをわかっているのだろうと思う。

 私にはきょうだいがいない。そして、母も年を取ったとはいえ、まだまだ記憶もしっかりていて、日常的には不安がない。だから、まだ六〇歳代の姉の劣化ぶりに茫然としてしまう。
  昔、ボーヴォワールの『老い』を読んだ時、「凋落」という語だけが妙に印象に残ってしまったが、思えば、その頃は私は二〇歳代。ピンと来るわけがなかったのだ。若いときは、妙に老成した心境でいたが、全く実感とはかけ離れたものだった。
 そう、今こそ、老いは凋落だ、としみじみ思う。そして、今は、全然、『老い』なんか読む気もしないのだ。
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 この義姉のことをどうしようと思うのだが、まだ一人暮らしは普通にできているし、趣味の社交ダンスにも週に1回通っている。友達もたくさんいるようだ。私がまだいろいろな仕事に追われている間は、なんとかがんばってほしいなと願う。
[日常]

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