2009-02-07


禺画像]
先日、あまり天気が良いので、近所の梅林をぶらぶらした。

もう、ずいぶん、花をつけている。
春のように、うららかな日だった。

ふと、病気をした時のことが思い出された。来年の春は、自分に来るのか? と思った。なんとも、もの悲しかった。

そして、先に逝った人のことを思った。その人が逝ったのは、6月だ。
息も絶え絶えの人を見守る日々の中で、秋の話題が辛かった。入院していた病院が立て替え工事をしていた。秋には、新館が完成する、という話題が、苦しくて、息が詰まりそうだった。秋には、その人がいない、ということが、信じられなくて、信じたくなくて、耳をふさぎたかった。秋のことなんか、言うな! という感じだった。絶望が私を支配していた。それまでに味わったことのない、苦しみ悲しみだった。その辛さを回避できるなら、過去のどんな辛い時点でもかまわないから、時がもどってほしいと思った。
後悔なんかしたことがない、と、豪語していた私の、転換点だった。
脳天気で、楽天的な私の、人生が変わった時だ。

それ以来、私はずっと、暗い雲を頭上に戴いて生きている。それでいいと思っている。
もう、幸せを追求する気はない。
それでも、陽気な部分は残っていたらしく、お気楽にテレビのお笑いなどを見ながら、一人で笑っていたりするから、人間というのは、自分のキャパに応じた苦しみ方しかできないものだとは、思う。
[散歩]
[風景]

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